【 掃除 】





――――ああ、ついていない……。

そんな呟きとともに漏れるのは、重く長いため息。
自然と進む足も遅くなり、引きずるようなずるずるとした足音が続く。そして同時に、ぱらぱらと弾ける雨の音。
白い靴下に泥が跳ねてシミを作り、左手に下げたゴミ箱の上を雫が滑り落ちていく。
放課後の掃除当番。よりによって、この雨の中でゴミ捨てが当たってしまったのだった。
「あー! また跳ねたっ! もう、やだぁ〜」
誰に聞かれるでもない言葉。それがまた、寂しかったりもする。友人は誰一人として、付き合ってはくれなかった。
「もう、誰よ〜。ジャンケンで決めようなんて言ったヤツ〜!」
勝負は、たった一回で決まった。7人いた当番の生徒の中で、グーを出したのはったった1人。

斉藤静(さいとう しずか)。17年の人生の中で、ジャンケンに勝った記憶は数えるほどしか無かった……。

愚痴が続くうちに足も進み、なんとか校庭隅にある焼却炉まで辿り着く。ここまで来るのに校庭を横断しなければならないのははっきり言って面倒以外の何者でも無い。こんな雨の日は特にご免被りたい事でしかなかった。
「うわ、最低……。どうしろっていうのよ……」
さらに不運は続くもので。辿り着いた焼却炉の周りは程よくぬかるみ、足を踏み入れればくっきりと足跡が付き、靴には泥のプレゼントが待っている。さらには蓋をあけるにはゴミ箱を一度そこにおくか傘をどうにかしなければならないのだが、教室用のゴミ箱に泥をつけるわけには行かないし、傘をたためば雨にぬれてしまう。かといって肩や首だけで支えるには少し頼りない。それにどちらにしろせっかくクリーニングしたてだというのに、制服がぬれてしまうだろうことは確定している。
「うー、もう……!」
さらなる愚痴をこぼしつつ、静はそろりそろりと足を進めていく。踏み締めた地面のぐちゃり、という感覚が気持ち悪い。
一歩、もう一歩と踏み出すたびに靴に泥が積み重なっていくことに泣きたくすらなってきた。
けれども、まだ2、3歩は進まねばならない。
意を決して……というより半分諦めてさらに進もうと足を踏み出した――その時。
「ちょっと待った!」
「――え?」
唐突にかけられた声。驚き、足を上げた状態のまま静は動きを止めた。
「そのへん、他よりぬかるみ凄いから、行かない方がいいぞ?」
「あ……! く、国枝くん!」
足を戻して振り返った先にいたのは、隣のクラスの男子であった。隣のクラス……けれども、この間まではしっかりと同じクラスだったはずの少年だ。
「あれ、なんだ。斉藤だったんだ。……お互い大変だな、この雨の中」
「え、うん、そうだね」
声がうわずり、心臓がどきんと跳ねる。顔が赤くなるのが自分でも分かった。
「じゃ、ちょっと待ってて」
「え?」
そう一言告げると、良太はぬかるんだ地面を器用に進み、慣れた手付きで焼却炉の蓋を開けると素早くゴミ捨てを終了させた。肩にかけた傘もどうやっているのかしっかり安定しているし、制服がぬれようとも全く気にしていないようだった。
「こっち、持ってて」
「え?」
「んで、そっち貸して」
「あ、え、うん」
言われるままに差し出された『2ーC』と書かれたゴミ箱を受け取り、代わりに『2ーD』と書かれたゴミ箱を渡す。
(……って、あれ!?)
つまりは。良太が変わりにゴミを捨ててくれた、ということだ。
「はい、お疲れさん」
ぬかるみも雨もゴミ箱の大きさもモノともせずに静のそばまで戻ってくると、再びゴミ箱を交換する。
「あ、ありがとう。ごめんね、大丈夫?」
「うん? ああ、別に。部活なんかで、どうせいつも汚してるしな」
そう言って笑う良太に、思わず見とれた。

会えて話せただけでもラッキーなのに。こんな風に、助けてもらえるなんて。

憂鬱だった気分が一気に晴れ渡っていく。雨も泥はねももうどうでもよくなってきた。
(ジャンケンには勝てなかったけど……でも、たまには負けてもいい事あるじゃない!)
「ふふっ。お互い、大変な時に当番になっちゃったみたいだね」
「まぁなぁ……。いつも行ってるんだからっつって押し付けやがってさー、あいつら」
「……あいつら?」
「そうそう。奈緒と芹沢と和泉。3人揃ってやかましいっつーのな」
「……へぇ」
良太の口から出た名前に、静の頬がぴくりとひきつる。女子は全員名字で呼んでいる良太が、唯一名前で呼ぶ少女……。
幼馴染みなだけだと本人達は否定するが、良太にその気はなくとも奈緒のほうは絶対狙っているに違いない、と静は見ていた。さらに今年はクラスが違う、というハンデまであるのだから、焦らない方が嘘であろう。

「じゃーな」
「うん、ほんとにありがとう!」
別れ際、一瞬前とはがらりと変わった笑顔を浮かべ、静はにこやかに良太を見送った。

「良太、おそーい!」
「うるせぇなぁ、仕方ねーだろ?」
「ふふふ。でも、全員揃わないと帰れないのよ?」
「う……わ、わるかったな」

聞こえてくる、隣のクラスのそんな会話に。

(浅川奈緒……!絶っ対、負けるもんですか……!!)

めらめらと闘志を燃やし、静はきつく拳を握りしめたのだった。




04.09.24