【 昼寝 】





青く。どこまでも青く広がる空。
雲ひとつなく、時たま視界をよぎる鳥たちすら雄大に見えるから不思議だ。……良く見るとカラスだったが。
陽射しもやわらかく、気温だって悪くない。暑すぎず寒すぎず、ちょうどよい気候であった。
「……ふぁ〜あ」
大きなあくびとともにやってくる、心地よい眠気。今が授業中だと言う事も忘れ、国枝良太(くにえだりょうた)はゆっくりとその両のまぶたを閉じた。

できることなら。
誰にも、何にも邪魔される事無く、このままゆっくりと……。

「――あれ?誰かいるの?」
「…………」
眠ろう、と思ったところで予想外にも邪魔が入る。しかも思いっきり聞き覚えのある声だった。きっともう一生、忘れたくても忘れられない声。
コンクリートを踏み締める音と、微かな振動をともなって気配が近付く。閉じたまぶたの上に、光を遮る影が掛かった。
「…………」
「…………」
どちらも、何も言わない。良太は寝た振りをして無視をする事に決め込んだ。予想通りの人物なら、特に気を使う事もあるまい。それになにより、この気持ち良さを邪魔されたくはなかった。
「ほんと、どこでも眠る奴よねー」
そんな言葉とため息と共に、被っていた影が消える。そして気配は、そのまま良太の隣に腰掛けたようだった。
「いーい天気……」
のんびりと、呟く声。 風がゆるく吹き、髪を流し肌をそっと撫でてゆく。あたりからは甘い香りが漂ってくる。
甘い……甘い――。

――――ぐうぅきゅるるるるぅう……

「…………」
「…………」

沈黙が落ちた。

今までも、どちらも特に喋ってはいなかったのだから、静かだということに変わりはなかったが。けれども、しかしこの『沈黙』は。

「――っぷ」

嵐の前の静けさ、というやつであった。

「あははははははははははーっ!!」
「て、てめェ、奈緒ッ!!笑ってんじゃねーよっ!」
突然の大爆笑に、良太は思わず飛び起きる。
「あははははっ! うわ、やっぱり起きてたんだ、良太。ぷぷぷ。お腹は正直ね〜」
「ぐっ……!」
反論できずに言葉に詰まる良太。たしかに、今かなりお腹がすいていた。もう昼時も過ぎたが、実は朝から何も食べていなかったのだ。
「じゃあ、しょうがないから、これあげるわ」
そう言って、少女はにっこり笑って持っていた包みを差し出した。ピンク色の、可愛い紙袋からは甘い香りが漂って良太の食欲を刺激した。大きさやこの香りから、おそらく中身はマフィンとかマドレーヌとかたぶんその辺だろうと予測された。
「…………」
今の空腹を満たすにはちと心もとないが、しかし有ると無いとでは雲泥の差。この後放課後まで持たせるには、それでも食べておかねばならないだろう。
 ――けれども。
「…………」
 良太は、黙って包みから少女の顔へと視線を移動させる。
 肩までのセミロング。美人とは言いがたいが、かといって悪くもないいわゆる十人並みの容姿。彼女の兄に言わせれば、ずいぶんと可愛く魅力的に成長したということらしいが、良太に言わせれば初めて会った幼稚園児時代からたいして変わっていないような気もするのだが。
「……奈緒」
「は、はい?」
静かに名を呼ぶと、奈緒はどこかうわずった返事を返して来た。
そう――やたら愛想が良く、無駄に優しく、そして隠そうとしても隠せない動揺を見せてしまうまぬけっぷり。
こういう時の奈緒は、かならず何か隠し事をしているかよからぬ事を考えている時だ。だてに付き合いは長くない。それくらいは、お見通しだった。
「何隠してんだ? お前」
「――えっ!? な、なんのことっ!?」
ぎくり、と強張る表情。
腐れ縁でも、ケンカ友達でも、たとえお互い弱味を握りあっていようとも。彼女のこういうところは、やはりどこか憎めなかったりもする。
「……ほんっとお前って、隠し事苦手だよなぁ」
「う、あ、あははははーっ!」
観念したのか、乾いた笑いでごまかそうとする奈緒。じろりと睨んでやると、張り付いた笑顔のままピンクの紙袋とペットボトルの紅茶をさしだされ、とりあえずこれをどうぞ!と無理矢理手渡された。
「……で、なんなんだよ?」
「え、えーっと……」
袋の中身――やはりマフィンだった――を頬張り、紅茶でのどを潤してから再び尋ねる。奈緒はまだ少しごまかすように視線をさまよわせてから、やっと良太をまっすぐ見据えた。
「えっと。良太、いつからここにいるの?」
「あ? あー…朝からだよ。ドアが開いてたから入ってちょっと一眠りするだけのつもりだったんだけど、起きたら鍵がしまってて出られなくなって……」
説明が進むごとに視線が泳ぐ奈緒。笑顔でごまかそうとしているが、しかし引きつって崩れては逆に自白しているのと変わらない。
「……お前……もしかして……」
「え、えへへー。じゃんっ!」
それに気付いて問いかければ、案の定。奈緒の手には可愛いテディベアのキーホルダーが付いた、銀の鍵が光っていた。

「…………」
「…………」

流れる沈黙。
遠くで一声、カァと鳴く声が聞こえた。

「……コロス」
低い呟きとともにぐしゃりと潰される空袋。
「うああーっ! ご、ごめんごめん! だってさ、ここって立ち入り禁止じゃない? 他に人がいるとは思わなかったし、呼んでも返事なかったし!」
「立ち入り禁止なのになんで花壇なんかがあるんだよっ!」
「あー…それは、まあ仕方ないから後で説明するとして……」
「仕方ないってなんだよ!?」
「それはこっちにもいろいろ事情ってもんがあるの!」
「なんだそりゃ? ……まあ、いいけどよ」
むしろ諦めたようなため息とともに良太はそう吐き出した。これ以上奈緒をせめても意味はない。
「え、ほんとに? 許す? 許す?」
「お前のおごりでマックな」
「えええーっ!?」
「やかましい! こっちはお前のせいで朝からなんも食ってねぇんだよっ!」
「……うー。それは、まあそうだけど」
「それで許してやるってんだから、有り難く思え」
「うっわ、偉そー」
「あ?」
「いいえー。ナンデモゴザイマセン」
良太の睨みから逃れるように立ち上がり、奈緒はスカートに付いた砂を払った。
相変わらずの青い空のもと、理事長自慢の花々が揺れている。
出口へと進路を変えたところで、良太が再び寝転がったことに気付いて、奈緒は足を止めた。
「ちょっと、良太?」
「どーせ、授業も後一時間だろ? 終わるまで寝てるよ」
「うっわ。さぼるんだ」
「……だから誰のせいだと……」
「あー! じゃあ! 放課後、迎えに来るからっ!」
そう言い残し、奈緒は慌てて屋上を後にした。

残ったのは青い空とゆるい太陽、こちらの騒動とはお構い無しに揺れる花々に、なぜかまだいるカラスたち。
まあとりあえず、眠ることに支障はない。

「ったく……やっと静かになったか」
呟いて再び目を閉じ、良太はそのまま眠りの波に身を預けた。

なにはあともあれ。
これで良い昼寝スポットを得られたのかもしれない。そんなことを思いながら……。




04.06.20