屋上には、決して登ってはいけない。
どこにでもあるような、ごくありふれた決まりごと。
ここ泉原学園高校でも、屋上はやはり立ち入り禁止だった。下から見上げる限りでは、しっかり柵などがつけられ、何か危険な施設があるようにも見えなかったが、それでも屋上への扉の鍵はいつも厳重に施錠されていたのであった。
「あのね、ユーレイがでるんだってっ!」
どこか楽しそうに、千佳子がそんな情報をもたらしてきた。
「うっわ、ありきたりー」
本日の日替わりランチをつつきながら、奈緒は呆れたようにそう返す。
「もうちょっとひねりが欲しいわね」
同じく日替わりランチのハンバーグを箸で切り分けながら、遥も言う。
「それが、結構目撃証言は多いみたいなんスよっ!」
ゃっかりと遥の目の前の席を陣取って二杯目のうどんに箸を付けながら、俊介が興奮気味に叫ぶ。
「そうそうっ! なんでもね、夜になると屋上で火の玉がゆ〜らりゆ〜らり、揺れてるんだってっ!」
「誰もいないはずなのに、声が聞こえることもあったそうっスよっ!」
ねーっ! と顔を見合わせながら、二人は嬉々として屋上の怪談話しを語った。良くある話だ。デマだろうと本当だろうと、どこの学校にも必ずと言っていいほどある、七不思議のひとつだった。
「……それは、いいんだけどさあ……」
なかなか取れないサラダのコーンを諦め、奈緒はそう言って箸を置いた。そしてゆっくりと、視線を自分の斜前へと動かす。
そこには、きょとんとしてうどんを飲み込む俊介の姿。
しかも、二杯目だ。狐うどんを、二杯目。どうせなら他の種類にすればいいのにとも思ったが、しかし問題はそこでは無くて。
「なんで、あんたが一緒に御飯食べてるわけ?」
今さらと言えば今さらで、しかしもっともな疑問。
「そりゃあ、遥先輩に俺のことをもっと知ってもらうには、こういう機会もしっかり利用しなくっちゃっスよっ!」
箸を握りしめ頬を赤らめながら元気に宣言をする。
草間俊介。1年C組出席番号7番。つい最近遥に一目惚れして猛アタック中の、元気過ぎるほど元気な少年だ。
「あ、そう……」
「ふふ」
引きつりながら呟く奈緒の隣で、遥はいつもの余裕の笑みを浮かべていた。中学よりの付き合いだが、なかなかその真意は見ぬきづらい。
「そんなことよりさぁーっ! 行ってみない?屋上っ」
「おおっ! いいっスね!」
やけに楽しそうに千佳子が言い、きらりと瞳を輝かせる俊介。
「そうね、面白そうね」
緑茶を手に、遥が微笑む。
「ええっ? なに言ってんの!?」
一人抗議する奈緒を引きずり、4人はそのまま屋上へと向かって行った……。
――がちゃり。
そんな重い音を立て、2つの空間を隔てる扉のノブが反転する。
「あ――」
『シィッ!!』
驚き声を上げようとした千佳子の口を、他の3人が一斉に塞いで制した。
「むふ〜??」
抗議と疑問の視線を向ける千佳子には構わず、3人の意識はただ扉の向こうへと注がれている。
「ちょっと、どういうことよっ?」
「開いてるみたいね、鍵」
「わわわ、罠っスよ! 罠っ!」
屋上への扉が、開いている。
ありえるはずのないこの展開に、警戒しつつ小声で相談を始める3人。
「どうすんの?」
「不用心よね」
「だから罠ですってば! 危険っスよ遥先輩っ!」
「……っぷはあっ! ――そんなの、行ってみればわかるでしょ〜っ!」
噛み合っている用で噛み合わない会話の中。沈黙から復活した千佳子が、隙間をぬって手を伸ばし思いっきりに扉を押し開けた。
『ああっ!!』
おどろく奈緒たちをよそに、千佳子はさっさと陽の光の中へとふみだし、扉の向こうへと身を踊らせていった。
ばたんと音を立てて締まる扉。
追い掛けることすら出来ずに固まった3人の間に、一瞬の沈黙が流れる。
そして。
「っきゃああああああああーっ!?」
唐突に、かん高い悲鳴が響き渡った。
「チカッ!?」
千佳子の叫びにやっと動きを取り戻し、奈緒は慌てて扉を押し開けた。開いた先から白い光に覆われ、あまりの眩しさに目を開けていられない。けれども足だけは確実にコンクリート上を数歩踏み締めた。
「いや〜ん、うっそーっ!?」
「……?」
再び上がった千佳子の叫び。その声音に首をかしげつつ奈緒はゆっくりと目を開いた。
「あら……綺麗」
隣に立つ遥が感心した声をあげた。その後ろでは俊介が呆然と前方を眺めている。
「ねねっ! 凄いよ、凄いよ〜!」
春のうららかな陽気の中、笑顔で千佳子が振り向いた。
遮るもののない、広い空。柔らかく降り注ぐ太陽の恵み。
その恩恵のもと、咲き誇るのは色とりどりの花々。
「……うっそお……」
目の前の光景に、呆然と呟く奈緒。
そこに広がっていたのは、綺麗に整備された花壇であった。
コンクリートの上に広々と作られた花壇。見回すと、屋上中央付近に白いテーブルセットとパラソルがあり、花壇の一部がそれを囲っていた。さらにその両端にはバラのアーチが設置されており、小さな洋風庭園を作り上げているのであった。
「…………」
「…………」
「…………」
「きゃーっ! 凄い、凄い! かわいい〜っ!!」
これは一体どういうことだろう。
いまだ呆然とするしかない3人のそばで、千佳子だけは単純に喜んでいた。
「……ウチの屋上って……」
「あら。苺の苗まであるみたいよ」
「ゆ、幽霊はどこにいったんスかね?」
奈緒は頭を抱え、遥は感心し、俊介はきょろきょろと辺りを見回した。
あまりにも予想外の展開に、どこから突っ込むべきかも分からなくなる。
「あっ! あんなところに小屋がっ!」
「小屋ぁ?」
俊介の指す方向へと視線を転じると、確かに隅の方に小さなプレハブ小屋が立っていた。
しかも、そこからがさごそと音が聞こえたりもする。
「うわああ! 幽霊っス、幽霊っス!!」
「んなわけないっしょ!?」
慌てふためく俊介にすかさず突っ込みを入れる奈緒。どうやら、なんとかショックから立ち直ったらしい。
「あ。出てきた」
「うわあああっ!?」
「ちょっと! なに人の後ろに隠れてんのよっ!」
プレハブ小屋から顔を出したのは、一人の老人だった。
「――おや。見つかってしまったかね」
そう言って、どこか楽しそうな笑みを浮かべたのは。
「あら。理事長先生」
『りじちょおーっ!?』
遥の言葉に奈緒たちの驚きの叫びが響き渡った。
頭頂の見える薄い白髪に口ひげ。ふっくらとした体格に、春の陽を思わせる好々爺な面だち。
入学卒業式くらいにしか姿を見せないため、その存在すらも忘れていたが、そう言われてみればどこかで見たことがあるような気がしないでもない。
「えぇ〜? その理事長先生が、こんな所でなにやってんですかぁ?」
物おじせずに直球で尋ねる千佳子に、こいつは意外と大物かもしれない、と冷や汗とともに奈緒は思った。
「ほっほっほ。見つかってしまっては仕方がないのぉ。ここはな、ワシの秘密の庭なんじゃよ」
「ひ、秘密の……?」
「そう。ここでがーでにんぐをしたり茶を飲んだりな。まあ、いわば……わしの遊び場じゃ」
「遊び場……ですか」
「なかなか穴場じゃろう?」
「は、はぁ……」
「ふふふ。素敵ですね」
「そうだろう、そうだろう」
「…………」
なぜか和やかに会話する遥たちを奈緒は呆然と眺める。
幽霊話、学校の七不思議の真相。
それが、まさか理事長の道楽だったとは。まさに、幽霊見たり、である。
「あー、でも。チカたちが知っちゃったから、もう秘密じゃなくなっちゃったね」
『あ』
ぽつりともれた千佳子の呟きに、3人の声が再びハモる。
「ば、バカッ! チカッ!」
「ほっほっほ。そうじゃのう……ちと、残念だのう」
「あああ、あの、すみません。私達……」
慌てる奈緒たちにも、しかし理事長は変わらずにこやかな笑顔を向けた。
「いや、かまわんよ。かまわんが……できれば、他の生徒たちには秘密のままにしておいてくれんかのう」
「え?」
「そ、そりゃ、まあ……そうおっしゃるなら」
「そのかわり、お前さんたちはいつでもここへ遊びに来ても構わんからのう」
「えー! ほんとぉ!?」
「ああ。本当じゃとも」
「うわぁーい!! やったぁ!」
思わぬ申し出に、単純に大喜びする千佳子。どうやらすでにこの場所を気に入ったらしく、早速楽しげに庭を駆け回り始めた。
「ちょ、チカッ!」
「いいじゃない? 理事長先生もそうおっしゃってくださってるんだから」
「そうっスよね! ユーレイもいなかったことですしッ!」
真相が判明した安心感からか、俊介ももとの元気を取り戻していた。
「う、うん……」
「――ああ。幽霊なら、おるよ」
『――はっ!?』
――が、しかし。
そんな理事長の一言で、再び動きを止める一同。
「たまにのう、白い影がふらふらとしとってな。まあ、悪さをするわけでもないし……気にしとらんがのう」
「ユ、ユーレイ!?」
「きゃー! ほんとにいるんだぁ!」
「あら、大変」
「うわーッ!! 罠ッス! やっぱり罠だったッスーッ!!」
「ほっほっほっほ」
驚く奈緒。喜ぶ千佳子に相変わらずの遥。俊介は慌てたように駆け回り、そして理事長はかわらず陽気に笑った。
それもまた、穏やかな春の一ページ…………なのだろうか…………。
04.04.23