【 入学式 】




「……ふふ」
ゆるくカーブを描く薄い唇。硝子越しの眼下に見えるのは、真新しい制服を着て緊張した面持ちの新入生たち。
桜色の風が吹く中、列をなして講堂へと向かっていた。
「うふ……うふふふふふふふふ」
自然、カーテンを握る手に力がこもる。びり、と軽い音が聞こえた気もするが、きっと気のせいだろうと黙殺した。『ああ〜』という背後のつぶや気も偶然に違いない。
「会長、そろそろお時間です」
凛とよく通る、低く冷静な声が耳に届いた。会長、と呼ばれた少女は、いまいまし気に顔をしかめて振り返った。
「言われなくても分かっていますわ」
小さく息をついて髪をかきあげる。一度ばらついた黒髪が、手を離すと同時にさらりと揺れて、腰の辺りできっちりそろう。それを確認してから、少女は、二人のそばで縮こまっていたもう一人の少女へと視線を向けた。
「沙乃、鏡とくしを」
「は、はいいっ!」
沙乃は慌てて少女の背後へと回った。ごく当たり前のようにイスに腰掛ける少女に鏡を渡し、真剣な表情でその艶やかな黒髪にくしを入れていく。
「会長。お時間ですと申したはずですが」
再びかかる、低い声。
「分かっていると言っているでしょう、笠井。これは、身だしなみです。新入生たちの前に出るんですもの。髪の毛一本、乱れることは許されませんわ」
その言葉にくしを動かす沙乃に緊張が増した。
「しかし、時間を守らなければ何の意味もないと思われますが」
いつも通りに冷静なその声音に、少女の柳眉がぴくりと跳ねた。切れ長の瞳の光は強く、ただ一人の少年を睨み付けている。
180に届こうかという長身。黒い髪は真面目すぎずうるさすぎず、清潔感すら漂わせてさらりと揺れる。
同級生や下級生……在校生に留まらず、卒業生や他校生、はては中学生などからも熱い視線を集める彼を、しかし彼女は全くもって気に入らなかった。
なにより、でかすぎる。大きい、ではなくでかい、だ。身長も肩幅も手も足も。そのくせ性格は細かく冷静で口やかましく隙がない。
 
はっきり言って、可愛くない。

それが、彼女――生徒会長たる篠宮古都音には気に入らないのであった。
なんでこんな可愛げのない輩が自分の片腕などというものになっているのだろうか。皆、分かっていないのだ。こんなでかい男が壇上に上がって何かやったからといって、何が面白いというのか。

「……そうですわ……」
うつむき拳を握りしめて、古都音は絞り出すような呟きをもらす。
「今日は、入学式なんですのよ……新入生が、入ってくるのです……」
拳を、肩を、小刻みに震わせながら続ける古都音に、副会長たる笠井裕也はそれでも冷静な視線を向けていた。
「ええ、ですから、急いでいただかないと式が……」
「だからこそ、ですわっ!」
一気に顔を上げ、そして握っていた拳から人さし指を突き出して笠井の眼前に掲げてみせる。その目は、どこか熱く燃えたぎっているようにすら見えた。
「だからこそ、身だしなみはきっちりと! 清楚で可憐で美しいこの私の姿を、新入生たちにとくと御覧になっていただかなくてはっ!」
掲げた手を引き寄せ頬に添え、今度は上品にポーズをとってみる。
……こうしていると、ちゃんとした清楚な美少女に見えるのだが……
「そして……まだ幼さの残る初々しく可愛らしい彼らに、『お姉様』もしくは『古都音様』と呼ばせてみせますわっ!」
しかし瞳だけは、熱くどこか遠くを見つめていた。
「……会長……」

深雪沙乃は、はらりと涙をこぼす。
成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗、眉目秀麗……そんな言葉がことごとくあてはまる憧れの生徒会長に、こんなにお茶目な一面があったとは。
知って以来、悲しむべきか親しみやすいと喜ぶべきか、しばらく悩み続けていた。

「とにかく、お急ぎください、古都音様」
「お前に呼ばれても嬉しくありませんわっ!」
どうあっても落ち着いた物腰のままの笠井に、古都音は顔をおおって大袈裟に嘆いてみせた。
「ああ……本当に、可愛くない……やはり男の子というものはもう少し小さくて細くて可愛らしくないといけませんわ……」
「あなたの御趣味はよく存じております、古都音様」
「おだまり、笠井っ!」
嫌味のように『古都音様』と繰り返す笠井に鋭い眼光を飛ばす。
「時間です。講堂へどうぞ」
が、やはり全く応えない笠井に、古都音は諦めたようにため息をついた。こんな可愛げのない輩と話していても面白くもない、と。
「……致し方ありませんわ。可愛い新入生の皆さんをお待たせする訳にはいきませんものね……では、参りますわよ、沙乃」
「は、はいっ!」
呼ばれて、沙乃は慌てて背筋を伸ばす。

祝辞用の原稿を持ち歩き出した古都音の立ち姿は、凛として美しく、しばし沙乃の思考を奪った。
ああ、やはり、この人は憧れの君なのだと。
この人とともに働けるのなら、副会長以下の座を巡っての、あの激しい攻防戦をくぐり抜けてきた甲斐があるというものだ。

「うふふふふふふふふ……楽しみですわ」
「その笑いは止めてください、古都音様」
「おだまりっ!」
「…………」

…………たぶん。




03.09.13