【 想いの伝え方 】




何だろう、この匂いは。

いつも通りに窓から風を運んできた精霊ピィムは、見なれた部屋の嗅ぎなれぬ匂いに、思わず両手で鼻を塞いだ。
土と水と、何かが焦げたようなどこかカビ臭さも含まれたような……。そんな匂いが部屋中に充満していた。確かにこの部屋は、いつもいろいろなもので溢れかえり、あちこちに風を運んでいるピィムにも見たこともないようなものだってあった。
でも、これは。
どこかで嗅いだことがあるようで、でもよくわからない変な匂いだ。
「ゼアス、いないのー?」
森の中にある、小さな木の家。その一室におそるおそる踏み込むと、くしゃくしゃに丸められた紙の成れの果てが床をうめ尽くさんばかりに散乱していた。近付いて覗き込むと、何かが書き込まれた上にさらに塗りつぶしたようなあとがある。使われたインクの量もバラバラで、ペンで書きなぐったものと直接インクをぶちまけたようなものまであった。
それらに近付いて確認すると、ピィムはすぐにそこから飛びのいてしまった。
「くっさぁい!」
匂いのもとは、この紙――インクだった。
普通に文字を書くぶんなら気にもならないものだが、これだけ無尽蔵に散らばっているとなるとやはり匂いもきつくなる。いつから放置しているのか、わずかにカビの生えたようなものまであった。
「いやー!きったなぁい!ゼアスー!?」
ちょっと泣きたくなりながら、ピィムは部屋の主を探し始めた。
インクの匂いと紙と大量の魔法書で埋まった部屋に、魔法使いの青年の姿はない。ここは書斎だから、居間か寝室にでもいるのだろうかとそちらへと飛んでいく。
「きゃあああ!ゼアス!?」
そしてピィムが見つけたのは……紙の海の中、廊下で眠りこけるゼアスの姿だった。

「ああ、ごめんよ。ピィム」
慌てて叩き起こしたピィムに、どこか疲れたようにゼアスは呟く。台所で水を汲んで飲み、イスに腰掛けてふうとため息をついた。
「んもう!びっくりしたじゃない。いったいどうしたっていうのよー?」
「うっ!?……いや、その……」
詰め寄られて顔を赤らめるゼアス。首をかしげる風の精霊に、ゼアスは言い辛そうにこの惨状の理由をぽつりぽつりと語りはじめた。

「らぁぶれたー!?」
「うわわわわっ!?こ、声が大きいよ!ピィム!!」
素頓狂な声をあげたピィムを慌てて両手で押さえ付け、ゼアスは盛大に顔を赤く染めあげた。
どうやら彼には、最今気になる女性がいるらしい。ゼアスも、もうそろそろ成人を迎えようかと言う年頃だ。そういう相手がいてもおかしくはない。
とりあえず友達関係にまでは発展したものの、なかなかそれ以上の気持ちを伝えることはできていない。けれど、そろそろ想いを打ち明けなければ彼女は他の誰かに取られてしまうかもしれない。
そう思って――けれど直接言うこともできず手紙で伝えようとしたのだが、それすらもうまくいかずに悪戦苦闘中なのであった。
「……なるほどねー……」
「そりゃあさ、伝えればいいのは一言だけなんだけどさ、でもほらやっぱり、なんかもっとこう……カッコよくびしっと決めたいとか思うじゃないか」
「その結果が、この紙の山なのね……」
「……うう……なかなかいい言葉が見つからなくてね……」
肩を落とすゼアスに、ピィムは腕を組んで頭をひねった。

ゼアスは、大事な友達だ。大事な友達には、ぜひとも幸せになってもらいたい。こんなふうに困っているのなら……どうにかして力になってあげたいのだが。

「……そうだ!ゼアス、あなた魔法使いでしょう?だったら、その特技を活かしてみたらどう?」
悪戯っぽく笑って、ピィムはくるりとゼアスのまわりを飛び回った。そのあとをふわりと甘い風が吹き、トンボによく似た半透明の二対の羽からはピンク色の光がキラキラと舞い散っていく。
「そ、うか……特技を活かして、か……!」
とたん、ゼアスの瞳にも生き生きとした光が戻った。

書斎の魔法書をひっくり返し、いくつもの魔法薬を調合し始める。惚れ薬なんていうものもあったが、そんなもので振り向いてもらっても意味がないとあっさり除外した。

ふんわりと緑が香る綺麗な便せん。
読みすすめると同時に音楽を奏でるインク。
開くと花びらを散らす封筒。
彼女が喜んでくれそうなものになるように。魔法をかけて、特殊な材料で不思議な道具を作り上げた。

「よ、よし……!これで完璧……!!」
嬉しそうに拳を握りしめるゼアスに、ピィムもにっこりと微笑んだ。
……けれども。
「そうね。でも……ゼアス?」
「うん?」
「便せんや封筒ができたのはいいけど……結局、中身は自分で考えなきゃいけないのね?」
「……っ!!??」
そんなピィムの指摘にゼアスはぴしりと固まった。
そうだ。結局一番大事な問題が解決していないではないか。
いくら魔法ですばらしい道具をつくり出すことができても、ゼアスの想いを形にすることは、魔法にだってできはしない。
「うわああああー!!そうだったー!!」
叫んで、頭を抱えるゼアス。ピィムも、どうしたものかと首をひねるばかりだった。このまま何の力にも慣れないのかと、羽根のはばたきもどこか力をなくしてしまう。

「――あらあら。いったい、何があったの?ゼアス?」
そんな二人の背後から、涼やかな声がかけられた。その声に、二人はぎょっと飛び上がる。
「ナナナナナ、ナーサッ!?」
飛び上がって声の主の名を叫び、その勢いのまま後ろの紙の山へとゼアスは突っ込んでいく。その一瞬の行動にナーサは目を丸くし、二人を見比べたピィムはあ〜あ、と頭を抱えた。
「ゼアス、大丈夫?」
「だ、だだ大丈夫、大丈夫……!て、ナ、ナーサ、いったいどうしたんだい、突然……」
「あら、迷惑だった?」
「いや、そんなまさかっ!!」
即効で否定するゼアスに、とうとうナーサは笑い出した。
(あー……)
もうどうしようもないかもしれない……ピィムは、いたたまれなくなって天を仰ぐ。
突然の想い人の登場で、ゼアスは半分パニック状態だ。顔は真っ赤で、頭はぼさぼさシャツはしわしわ。しかもインクやら魔法薬やらであちこち汚れ放題。
こんな状態では、笑われこそすれ告白してみたって断られるだろうことは目に見えている。
「今度は、いったい何の研究をしているの?」
そう言ってナーサが手にしたのは、比較的綺麗なままの一枚の紙。そう、もちろん……ナーサへの想いの綴られた便せんだった。
「あ!」
気付いたピィムが声を上げる。
「え?」
顔を上げたゼアスの目に映ったのは、便箋を片手に驚きの表情を浮かべるナーサの姿だった。
「――っ!!!」
今度こそ、全く動けなくなるゼアス。ゆっくりと、ナーサが顔を上げた。
「これ……ほんとう?」
「うえ!?あ、そ、そそそそそそのっ……!!」
嫌だと言われるのか。このまま嫌われてしまうのか。もう友達にすら戻れなくなるのか。ゼアスの脳裏に浮かぶのは、そんな不吉な予感ばかりだった。頭上では、ピィムがおろおろと飛び回っている。
「ほんとう、なら……」
手紙をゼアスへと差し出して、ナーサはほんのりと頬を染めた。
「これ……できれば君の口から、直接聞きたいんだけど」
「え……」

真っ直ぐな瞳。さらりと揺れる、栗色の髪。
それを、ずっと見つめてきた。友達として笑いあうのも楽しかったが、いつのまにか、想いはそれだけではおさまらなくなっていた。
もっと、ずっとそばにいたいと思うようになった。

「よっしゃー!がんばれ、ゼアスゥ〜!」
ナーサの笑顔を目の前に、ピィムの声に背中を押され。ゼアスは、一世一代の勇気を振り絞る。

そう、いつの頃からか、ずっと――――

「き、君のことが、好きなんだ……!」

がちがちに緊張しきった告白に。
ナーサは、花開くように微笑んだ。



05.02.22


* 『手紙』をテーマにした作品。
もうちょっと魔法を絡めた方が良かったかもですね〜