――――ねえ、知ってる?
“校庭の大きな木”には妖精が住んでいて、誰にもひとつだけ、願い事を叶えてくれるんだって……
「そんなの、おとぎ話よ」
美花は、きっぱりと言い切った。
「なあんでぇ? 学校に、ずうっと伝わる伝説なのにぃ」
ワンテンポ遅れた、ゆっくりとした口調で美希は言い、小首を傾げた。
双子の美花と美希の通う桜小学校には、その名の示すとおり校庭にたくさんの桜の木が生えており、その中でも一番の樹齢を誇る大木には、“願い事を叶える妖精”の伝説があった。
「あのねぇ……たんなる桜の木よ? 木は木なのっ! 生きてるけど、妖精なんているわけないじゃない!」
小三のくせに妙に現実的な美花は、そんなもの少しも信じてはいないようだ。
「そおかなぁ? わたしはきっと、いると思うけどなぁ」
美希は、にっこりと微笑む。
「い・な・い・のっ! そんなこと、あるわけないでしょっ!?」
少々むっとしつつ、美花はぴしゃりと言い切ると、早く帰るよ、とさっさと歩き出した。そのあとを、美希が慌てて追いかけていく。
そして……
二人の後ろで、桜の木がさわさわと揺れていた…………
美花と美希は正反対の性格をしていた。
はっきりとした性格の美花。おっとり気味の美希。
だけど美希は、とろいわりには何事もそつなくこなしてきた。
例えば、夏休みの宿題。美花のほうが先に始めても、毎日こつこつとやっている分美希のほうが終わるのは早かったし、工作で同じものを作っても、美希のほうがきれいに丁寧に仕上がる。
それに、おっとりとした性格の美希は誰からも好かれ、かわいがられていた。
負けず嫌いで意地っ張りの美花にとって美希は大好きな妹であり、一番の親友であり、そして同時に大きなコンプレックスでもあったのだった。
「ねぇーえ、ほんとぉに、信じないのぉ? 妖精さん」
「しつっこいなあ! いないって言ってるでしょ!」
振り返ってそう言ったとたん、どしんと何かがぶつかってきた。
「い……いたた……なにっ?」
前に向き直ると、そこには美花たちと同い年ぐらいの女の子が立っていた。
「だぁいじょうぶ?」
「あ……ごめんね、へーき?」
二人して声をかけたが、しかし女の子はこちらをじっと見つめたまま黙っている。
「……あの……?」
美花は少々困った顔をし、美希はほえーっと首を傾げた。
「いっしょに、あそぼ」
不意にそういうと、女の子はにっこりと微笑んだ。
「わたし、さくら。よろしくね」
美花は一体なんだ? という顔をし、美希は素直に喜んでいた。
三人は、まず公園で遊ぶことにした。最初は釈然としなかった美花だったが、しかし自然とそんなわだかまりは消えていった。
公園で遊ぶのに飽きると、三人は学校の近くにまでやって来ていた。
「あのねぇ、さくらちゃん」
小学校のすぐ近くに流れる川の、その橋の上で、美希はなにやら楽しそうにさくらに話しかける。
「校庭にある桜の木にはねぇ、妖精さんが住んでいて、誰にもひとつだけ、お願い事を叶えてくれるんだってぇ」
にっこりと笑う美希に、美花はうんざりとため息をついた。
「やぁだ、美希ってば。まだそんなこと言ってんの? 信じるわけ無いじゃない、そんな話」
ねぇ? とさくらを振り向く。
「……いると、おもうな」
少しの間をおいて、さくらはぽつりと呟いた。
「いるよ。妖精さん」
なにやら確信めいた、不思議な響きできっぱりとさくらは言う。
「わあっ! ほぉら、やっぱり! ねっ? いるよねぇ」
嬉しそうに、ぱちんと手をたたく美希。
「な……なんで? いないよ、そんなの」
そう言って、美花はさくらを見た。
さくらは、真っ直ぐに美花を見ている。
大きな、きれいな瞳。
だけどなんだか、全てを見透かされているような、瞳……。
美花のなかに、何かがわきあがって来る。
どくどくと音を立てて、それは何処からかやってくる。
胸の奥が、心の奥がなにやらざわめく。
「いるの。美希ちゃんは、ただしいの」
静かに、だけどきっぱりとさくらは言う。
――――ドクン……
嫌な鼓動が、波を打つ。
どんどんと、わきあがって来る感情。
そう……いつもいつも、感じていたモノ。
どくどくと。ざわざわと。
美花の中に、広がっていく……
美希チャンガタダシイ。
美希チャンハエライネ。
美希チャンノホウガ……
――――ドクンッ……!
いつも、いつもそう。
美希には、敵わない。
がんばってるのに。おんなじなのに。
いつもいつも、悲しくなる。苦しくなる。……辛くなる。
――――劣等感に、敗北感。
なんで? なんで? なんで?
美花は俯いて唇を噛み、拳を握り締める。
わきあがる感情を、抑えるために。
「どおしたの? 美花」
美希が、声をかける。さくらは黙ったまま、美花を見ている。
――――ドク……ンッ……!
「……ん、で? なんで? なんでいっつも、美希なの? なんで美希のが正しいの? なんで妖精なんか信じるのよっ!」
叫んだ美花に、美希はさすがに驚いたが、さくらはただ黙ってたたずんでいる。
全てを見透かしているような、静かな瞳で。
「なんでそんな目で見るのよっ!」
「み、美花? どおしたの?」
おろおろとしながら、美希はなんとかなだめようと声をかける。
「うるさいっ! 美希なんか……あんたなんか、大っ嫌いよっ!」
叫んで、美花はその手を思いっきり振り払った。
「きゃっ……!?」
ぐらり、揺れて。
美希の姿が、二人の目の前から消える。
「――え……?」
柵をのり越え、その下の川の中へと、落ちていく……!
バッシャーンッ……!
盛大な音を立て、川に水柱が上がった。
「み、美希……!」
慌てて柵の向こうへ身を乗り出す。
川は、流れは緩いが底は深い。しかも、美希は泳げない。
「たっ……助けっ……」
ばしゃばしゃと両手足を動かしもがくが、足はつかないし岸へもいけない。
「やっ……やだっ! 美希っ! 美希っっ!」
どうしたらいいのか分からず、真っ青な顔でただおろおろとするしか出来ない。
そんなとき。ふと、桜の木が目に留まった。
「……あ……」
“ 妖精が 願い事を叶えてくれる ”
(い、いない。いないのよ、妖精なんて)
信じない。信じられない。
――でもっ……!
「……美……花……」
川の中で、美希の頭が浮き沈みを繰り返す。
(いない……! いないのよっ!)
――でも……
――だけど……
「美希っ……!」
ぶくぶくと音を立て、力尽きた美希が沈んでいく……。
「やっ……!」
“ 願い事を 叶えてくれる ”
「いやあああっ! 美希っ! 助けて! お願い!」
ばっと、桜の木を振り向く。
「いるのなら……本当にいるのなら……美希を助けてっ! 妖精さんっ……!」
瞳にいっぱい涙をためて、力の限りに叫ぶ。
――その、瞬間。
パァァッ! と、後ろのほうから光が放たれた。
(え――?)
振り向くと、そこには身体から光を放つさくらの姿があった。
「さくら……ちゃん?」
ぱしゃん、と水音が響く。呆然とする美花の前に、びしょぬれの美希がゆっくりと降り立った。
「美希っ……美希……!」
声をかけると、うっすらと瞳を開き、にっこりと笑った。
「ごめん……ごめんね、美希……ほんとは、大好きだよ」
「美花……」
そして二人は、さくらの方へと顔を向ける。
うっすらと、ピンクの……桜色の光をまとって、静かに微笑んでいる、少女を。
「さくらちゃんは、桜の木の妖精さんなのぉ?」
「ほんとに、いたんだ……」
呆然と呟く美花に、さくらは優しい瞳を向けた。
「やっと、すなおになったんだね」
「え?」
「ほんとは、信じてたんでしょう? ほんとは、大好きなんでしょう? ……それが、正しいの。すなおでいるのが、いちばんいいの」
本当は、美花も信じていた。もしかしたら、と思っていた。……でも意地をはって、つっぱって。ちっとも素直じゃなかった。
(だから……? だから、さっき美希のが正しいって……)
「あのね、わたしはね、すなおじゃないとみえないの。ほんとに信じてくれないと、ちからをつかえないの」
素直に強く、真っ直ぐに信じる心。
それは、時に奇跡をも起こす強い力――――
ゆっくりと瞳を閉じたさくらの身体が、再び強い光を放つ。
「ずうっとずっと、信じていてね。いつまでもいつまでも、仲良くね……」
その、言葉を残して。さくらはすうっと、消えていった。
「……ねぇ、美希。美希のお願いって、なんだったの?」
しばらくののち。美花がぽつりとそう尋ねた。
「うん。あのねぇ……」
美希は、くすくすと嬉しそうに笑う。
「美花と、ずうっと仲良しでいられますよおに、って」
そしてふたりは、顔を見合わせて微笑むと、仲良く家へと帰っていった。
――――うん。ずっとずっと、仲良しでいようね…………。
03.08.02